そして戦いの日々

 私はやはり、勝ちにこだわっているのだと思います。

 それは、一つには

 「このぐらいしか、人に対して優越感を示せるものが無いから」

 かもしれませんな。幼い頃から、なんとなく劣等感があって、その処理に手を焼いていたように思います。学校に通っていた頃は、「テスト」という勝負があったのは良かった。幸い、得意科目では負けない、みたいなちょっとした優越感で紛らわせることができたわけです。
  
 そう、私はやはり、「勝ったぞ、どうだ、俺は凄いぞ」と言いたいのだと思います。

 そしてもう一つには、

 「そんなに強いプレイヤーではない」

 からでしょうね。記憶力が悪いのはともかく、理解スピードはトロく、読みの力はしばしば脳内でこんがらがります。
 だからこそ、「勝てる勝負」は落としたくない。必然、勝負にこだわる姿勢になります。


 さらに言えば、今書いたことに自分で気が付いていて、そこにある種の「やましさ」を抱えているような気がします。
 だから、

「たかがゲームじゃないですか」

 と言われるとヒジョーにムカツクのだろうと分析します。



 でもね。
 正当なルールの上での勝負なら、勝利のチャンスがお互いに存在するなら、勝利を誇っていけないわけはない、と思います。
 僕は、勝利者を素直に褒め称えることができるつもりです。
 一方、勝利の優越感に浸ることは、果たして悪しきことでしょうか。

「たかがゲーム」で? いえいえ、「されどゲーム」です。

 あくまで限定的に、人格や生活に影響を及ぼさない、その瞬間のテーブルに限った範囲内で。
 勝者は大いに喜び、誇り、敗者は大いに悔しがり、そして勝者を称えるべき。
 僕はそう思います。
 そう思って、ゲームをプレイします。

 もちろん、事前にそのテーブルの(or、その店の、その会の、その催しの)TPOに合わせて調整を入れつつ、ね。