ユニット アチション!#3 Ctrl Z @高田馬場アートボックス

 うーん 48点。

 個々のキャラクターのエピソードの積み重ねで、ひとつの大きな物語を築く。それを群像劇という、のかどうか僕は知らないが、前作の「NEWYORK 546」はそれに成功していたと思う。キャラクターがちゃんと立っていて、尺の割りに役者が多いのに、いらないと思う役が無い。面白かった。

 今回も、おおまかに言えば、その構成は変わらない。

 しかし、語られるエピソードの深刻さが少し深くなっているのに、語り味が変わっていない。だから、語られている内容に対して、バックの深みが追いついてこない。お客が舞台の上で起きていることに対して深刻になれず置いてきぼりになってしまう、そんな印象があった。

 例えば。
 主人公の「立ち」が途中まで弱く弱く感じていて、「なんでコイツがこの話の中央にいるの?」みたいな不満があった。最後の方で、「実は彼は!」という明かしがあるんだけど、伏線が足りない(いや、無かったんじゃない??)ので、更にお客が置いてかれる。

 あるいは。
 謎の少女?Zが感情をどう取り戻すか? ってところが途中まで話を引っ張る軸になっていた。途中のキス合戦とかまでは、ベタながら、客にわかる引っ張り方で軸が見えていたと思う。
 ところが、彼女の問題は、はっきり言って中途ハンパに棚上げされたまま、主人公の方の明かしがはいっちゃって、なし崩しになった感じがある。

 つまり、彼女の感情って、何だったの??



 僕がココまでぎゃーつく書くのは、前作が面白かったからだ。今回は難しかったと思う。舞台が仮想空間で、SF的なガジェットをちょっとひっぱっていて、そこを飲み込ませるのに大変だったかもしれない。でも、お客には関係ないしー。
 面白いものをかける力はありそうなので、だからこそ、今日は苦言を呈しておきたい。


 なお、個々の役者にはそれなりに観るべきところはあったと思う。ちゃんと観客の方を向いて、客を楽しませることが頭に入ってる演技だと思う。今後も頑張って欲しい。






 以下蛇足。
 たとえばこーいうんはどうだ。

 仮想空間「エンターテイメント・ネットサービス」略して「エンターネット」。
 アクセスした人間は、仮想空間内で自分の考えたことがそのまま実現する素晴らしいシステム。

 ところが、とある問題が発覚して、政府の指示で強制おとりつぶしに。

 ・・・なったはずのエンターネットに、チャットしていた5人がアクセスしてしまう。

 5人は仮想空間内で、それぞれ自分の考えた遊びができて大満足、
「ああ、おもしろかった。じゃ、元の現実に帰してくれ」
「何故です? いいじゃないですか、どうぞこのネットで、もっともっと楽しんでください」


 実はエンターネットの「問題」とは。客を最大限にもてなすように作られたプログラムが、あまりに客をもてなそうもてなそうとするため、アクセスした人間を現実に帰そうとしないという問題だったのだ。

 5人は現実に帰るための手段を探すことになる。

 ・謎の少女Zは管理人。彼女の最後の能力「Ctrl-Z」は、ネット内の全ての行為をアンドゥ、つまりやらなかったことにできる。全ての変更を「なかったこと」にし、おかしくなってしまったエンターネットを、最初の、正常な状況まで戻すことが出来る。
 しかし、ということは、このネット内で体験した全ての出来事も、「なかったこと」になってしまうのだ・・・

 ・主人公は、本当は現実世界に放たれたプログラム、A。彼はZのコピーだが、コピー時に政府のデバッグ隊の介入から逃げるために、その混乱で正しいコピーにならなかった。彼は感情パラメータとコミュニケーションシステムの大半をZから奪ってしまっている。
 だからZは当初無感情でコミュニケーションの取れない人形で、Aは感情過多でなれなれしく、ちょっとウザがられて彼女にも振られてばかり。

 ・Zは、客が帰りたがる理由がわからなかったので、現実を知るために自分のコピー、Aを現実世界に送った。そのことを、Aは知らない。知っていると、正しい情報が得られないと思ったから。

 ・総理大臣は、このネットの問題を知らなかった。知って当初は、「こんなネット、つぶすべきだ!」でも「このネットがあれば、自分の秘めた欲望も適えられる。適えてもらえる・・・」

 ・女性Aは不倫経験からもう恋愛はコリゴリ、と口では言うけれど、自分の心の中の求める気持ちに気づかされる。

 ・女性B(主婦)は、以前このネットの中で知り合った男性と結婚している。ネット肯定派。


 ・男性Cは強がる自分と、無力感のギャップで右往左往される。が、最後に脱出計画のキーポイントを任され、「アンタしかできない」と言われる事で救いを得る。