プエルトリコ

 ってなわけで、プエルトリコでしたー!

 あれからワタクシ、自分なりに整理して、以下の様に理解したわけですよ。

 ・金は、商人で稼ぐ。
 ・金は、建築家で建物に変える。
 ・船長は、勝利点を稼ぐ。

 そして、

 ・監督は、可能な限り他人にやってもらう。
 ・市長は、どうしても必要な時か、配置人数に差の出る時に。

 そして、プエルトリコの戦術研究をしている関西のグループのページをざっと見て勉強。その上で本日のゲームに挑みました。


 本日は、当初4人プレイの予定でした。ですんで、おおまかに、
 ・3番手で、かつ場に黄色があるなら輸出型で。
 ・それ以外なら建築型で
 と決めていたのです。
 んがしかし、今日になって参加者が増えたので急遽5人プレイに。
「ええと、5人の時は何がどうなるんだっけ???
 そういえば、柏木の店長さんは5人プレイはやらないと言ってたけど、それはなんでだろー?」
 とか考える間もなく開始。

 そして5人中の4番手になったとき、僕は賭けに出ました。よし、輸出しまくってやる、と。まだ経験の浅い5人プレイなら、ミス生産が発生、輸出で逃げれる!と。

 結果的には負けました。敗因は、つい港が欲しくて欲しくて作れる段にうはっ! と作ってしまったのだけど、タイミングから考えれば造船所だった。ついでに、予想以上にみな生産に慎重(さすがゲーム同好会の中でも濃いメンツ)で、小さな倉庫がほぼムダになったこと。そこは読みきれなかった。

 そういう戦術のミスはあったけど、結果論だけど、戦略は間違ってなかったような気がする。他のプレイヤーとけん制しあいながらのプレイは面白かった。

 プエルトリコの魅力は、

・複雑な要因が絡むため、最善手が固定されない。(他のプレイヤーの技量・作戦・ミスで変更を余儀なくされます)
・運の要因が他のゲームに比べ少ないため、後で敗因を思い返した時に「あそこがミスだった」と納得でき、悔しく思うことができる。

 ということかな。
 特に、後の点はゲーマーには大きいかも。少なくとも、僕にはそうだ。
 最善手を理論立てて考えるようなプレイヤー、例えば僕のようなコアゲーマーには、後で敗因を考えた時に
「あそこでサイコロで8が出なかったからだ」
に行き着いてしまうゲームは、時にたまらん時がある。運は、技量・経験・理論でカバーすることはできても改善はできないからだ。
 どうしようもないこと。
 それは時に、人をひどくイライラさせるのである。

 ・・・かといって、そればかりでは辛くなるのもまた事実なんだけど。僕も、そろそろカタンをプレイしてもいいかなー?ぐらいの気分にはなっている。

 あ、そうそう。
 結局のところ。

 ・・・やっぱ悔しいってことは、面白いゲームなんだよこれ。買うか。<速ッ