絶望との付き合い方

 それはプレイヤースキルが如実に反映されるゲームで。
 乱数による外乱は無いか、ほとんど無く。
 序盤から付いた差か、あるいは途中で犯したミステイクによって付いた差で。
 トップのプレイヤーとは明らかな差がつき、逆転の可能性はほとんど無く。
 しかし長時間ゲームのため、あと2時間は、この席で辛い状況と向き合わねばならない。


 こんな時はどうしたら良いのだろう?


 今回のエントリでは、この「濃い目の長時間ゲームで、プレイ時間を多く残しながら、しかし敗北が明白になってしまった後のプレイ時間」の問題について、プレイヤーとゲーム製作者の両側から考えてみたい。

 ここで事前に書いておきたいのだが、この問題をいわゆる「プレイマナーの問題」に帰結させるつもりは無い。マナーだから我慢しろ、で忍従の時間を強いるのは、ココロの健康によろしくない。なにより、楽しむためにゲームしているはずなのに、楽しくない時間を過ごすということこそ、本末転倒なのではないだろうか?


1)投了する。
 敗北を素直に認め、現在TOPのプレイヤーの勝利を称えつつ、可能であれば再戦を申し込む。
 2人プレイのゲームならば、これが最もココロの健康に取って健全であろうと思うのである。
 しかし、多人数マルチのゲームであれば、特に自分以外のプレイヤーがTOPを争える段階にある場合は、上記の意思を表明しても受け入れてもらえない可能性は高い。


2)ひとつでも順位を上げる。
 競技性の高いゲームにおいて、これも健全な考えであろう。
 1位がダメなら2位、2位がダメなら3位。少なくとも最下位は回避するよう、最後まで努力を続ける。もしかすると、1つ上のプレイヤーも緊張でミスを犯すかもしれないじゃないか?


3)TOPを叩く。
 他のプレイヤーとも共同し、TOPプレイヤーを集中的に叩く。これにより、それ以外のプレイヤーとの差を縮め、あわよくば自分の順位の向上を狙う。
 大抵、多くの場合この行動を取ると思われる。マルチゲームとしては、極めて自然な流れと言えよう。
 ただし、ゲームの終了条件によっては悪戯にプレイ時間を長引かせる原因にもなり得るので注意が必要と考える。


4)復讐の鬼となる。
 もはや道は絶たれたのである。ならば、せめてその代価を支払わせるべきだろう! というわけで、直接攻撃系のゲームであれば、TOPを狙えぬほどのダメージを食らわせてくれたプレイヤーに対し、後のゲーム時間の全てを個人攻撃に充て復讐の鬼と化す、という道もある。
 言うまでもなく、あまりココロの健康に良いとは思えない。どちらが先に引き金を引いたかはともかく、対象となったプレイヤーとのプレイ後の関係も、あまりよろしくないことになるだろう。


 実は恥ずかしながら、ワタクシの場合、4)の道を採る事が多かったことをここに懺悔しておく。怒りに目が眩むと、もはや他に道が無いように見えたものである。

 一般的なのは3)なのであろうが、上記に書いた「プレイ時間」の問題もあり、私はあまり積極的にこの道を採らない。

 2)の道を採ることこそ本道、というのは皆同意できるところだろう。
 しかし、いわゆる「拡大再生産型」のゲームの場合、これも難しい場合があることを留意されたい。


 順調なプレイヤーの前には道が開け、いくつも採るべき手段が開けていく。何をやってもいい。
 不調なプレイヤーの前は道が次々と閉じ、取れる手段が失われていく。何もできない。


 例えば陣取り型のゲームデザインで、周囲を他のプレイヤーに完全に埋められ、発展の可能性が完全に絶たれてしまった場合。


「何もできない」


 この辛さは、恐らく全てのゲームプレイヤーに共通に理解されるのではないだろうか。

 私はこのエントリの結論として、もっと1)の道、つまり「投了の宣言」をもっと考慮に入れるべきではないか、と提案する。

 本来、ゲームの目的が「楽しい時間を共有するため」なのであれば、それが不可能になってしまった仲間が、そこに独り存在するのは、おかしいのではないか。マナーの美名の下、ただ忍従の時間を強いるのは、ゲームプレイの本来の目的に沿っていないと考える。


 私は以前、2時間を越えるような、そしてゲーマーズゲームの様なスキルが勝敗を決定的に左右するゲームを遊ぶことに、二の足を踏んでいた。
 それはまさしく、前述の理由に因る。
 勝敗にやや拘るタイプであった私にとって、勝ち目の無い、あるいは薄い時間を長々過ごすことに耐えられなかったのである。

 今の私は、「蒸気の時代」も「ケイラス」もプレイする。
 それは、ひとつには面白いゲームにめぐり合うことが出来たということ。
 もうひとつには、「元々2時間ゲームなんだけど、ついつい長引いて3時間半」とかいう経験を繰り返したことで「長時間ゲーム」に対する耐性がついたこと。これが大きい。

 だが、全てのプレイヤーにこの「慣れ」を要求していては、いつまでたってもボードゲーム人口は増えない、結局マニアの遊びで終わってしまうと思うのだ。


 私たちはもっと、下位のプレイヤーの辛い表情に敏感になって良い。彼らの投了を受け入れ再プレイの準備にとりかかる姿勢があっても良い。そう考える。

(前編終わり)