絶望の防ぎ方
昨日は「濃い目の長時間ゲームで、プレイ時間を多く残しながら、しかし敗北が明白になってしまった後のプレイ時間」の問題について、プレイヤーの側から考えてみた。
今夜は、ゲーム製作者、つまりゲームデザインの面から考えてみようと思う。
1)常に、逆転の可能性を残す
例えば、乱数を導入。どんなに勝利条件に近い様に見えても、乱数の転がり方次第で逆転される、というデザインはどうだろう。
2)プレイ時間を、1時間以内にする
ゲームプレイそのものが、1時間以内で終了するよう、デザインを簡略化、あるいは制限するのはどうだろう。
さてさて。上記1)と2)は、そもそもの前提―『濃い目の長時間ゲームで』を崩してしまいそうだ。
今回の話題では、「蒸気の時代」「プエルトリコ」あるいは「電力会社」といったゲームを念頭に置いているわけだが――これらのゲームは、しばしば「拡大再生産型」とも呼ばれる。ゲーム序盤で獲得した能力、立場、ゲーム上の優位性によりゲーム中盤の優位性を獲得。それを更に使用してゲーム終盤の優位性を得、最終的な勝利を目指す。
これらのゲームの魅力を推察して言うと、
「序盤から気が抜けない」「中盤も慎重に」
序盤で得た優位性が終盤まで影響を及ぼすため、序盤から気が抜けない。更に、優位性はあくまで「優位性」に過ぎず、勝利を保障しない。つまり、優位性を上手く活用できないと、逆転されるのである。
ゲーム序盤・中盤を貫く緊張感。一手一手の重みこそは、「拡大再生産型」の面白みの真骨頂、かもしれない。
#それだけに、終盤まで勝負がもつれ込むことはあまりなく、途中でだいたい決着が見えていることが多い(気がする)。もちろん、最後の最後まで勝敗がわからない、というのは名勝負となり素晴らしい達成感を与えるだろう。
さて。
ここまで書けば、1)が難しいことがわかるだろう。
常に逆転の可能性が保障されている、ということは、極端に考えれば「序盤と中盤で築いた優位性が無視される」ことになりかねない。
「最後のターンにサイコロを振って、1を出した人が勝ちです」
なんてルールだったら、そこまでのターン、苦労する必要が無い。
ならばせめて、最後のターンまでに得た得点分、振れるサイコロの数が増える、とかならどうだろう? 折り合いは付くだろうか?
「逆転の可能性」と書いた。
ゲームの序盤から積み上げてきた成果に見合った、「逆転されてしまう可能性」とはどういうものだろう?。
これは本当に難しい問題だと思う。
3)できることを残す
逆転の可能性は非常に低い、他のプレイヤーがミスしなければ零に等しい。
でも、何かできることが残されているデザイン。
順位を上げることは難しいかもしれないが、例えば領土を増やすとか。
別途、得点の方法が残されているとか。
「何もできない」
が絶望への道ならば、なんらかの「できること」が残されているべきである。
そういう意味で言えば、やはり「カタンの開拓者」のデザインは偉大であると考える。
(カタンのゲームプレイそのものが、90分程度で終わることはこの際置いておく)
カタンも陣取りの要素があり、道の引き方次第では、もはや一本も道も引けなくなる手詰まりに追い込まれることもありうる。
しかし、最初に置いた開拓地は、最低限の収入を約束し、それを貯めれば「都市化」や「発展カード」による得点も可能である。
そう、「何もできない」わけではないのである。
一方、領地拡張が上手く行けば収入効率が高まり、勝利の可能性は高くなっていくのだから、途中の苦労が勝利に反映されないわけでは決して無い。
このバランスの取り方は、やはり学ぶべき所の多いデザインである様に思う。
このエントリの結論としては、
「例え順位を上げるには至らずとも、最後までプレイヤーになんらかの『できること』を残すべし」
としたい。
陣取り要素は面白いものだが、結果的にプレイヤーが「死ぬ」場合が多いことを留意すべきだろう。抜け道、あるいは領地拡張以外の得点要素を残すべき。いや、そもそも長時間想定のゲームでプレイヤーが序盤〜中盤で雪隠詰めになってしまうなら、きっとマップが悪い。狭いか、人数が多すぎるのだ。